杭州天気 PM2.5

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杭州にいたアノ人は今!

プロフィール:


臼田 真一 SHINICHI USUDA
東京都勤務
こよなくサッカーを愛し、ロシアW杯の寝不足から解消された
チョイ悪オヤジ
 
現在も杭州での仲間たちと「杭州忍の会」を結成し、毎月御徒町
近辺で昔話や今後について、紹興酒と中華料理で楽しんでます。

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「女房や杭州で知り合った皆さんのお陰と感謝しています。」
 
其の一 杭州でダイエット                            
十数年前にT社のPJで広州に2年間出張しており、最初の赴任前
の杭州のイメージは涼しく、田舎なんだろうなと思いながら上海か
ら高鉄で杭州入りしたのが2013年6月2日。帰任が2015年1月
8日。約1年6ヶ月の出向でした。
浜江(ヒ゛ンシ゛ャン)にマンションを借りて住み始めたときはやはり田舎だなと思いましたが初めて西湖辺りに出かけて考えは一変しました。
気温は40度を越え、西湖は世界遺産で観光客だらけ。その数日本の比じゃない。おまけに初めて経験するPM2.5。ちょっと違うが、なんとかなるだろうと思って生活が始まりました。 
女房が高松出身ということもあり、大量に讃岐うどんを持ち込み毎
晩、ぶっかけうどんを食べようと大根、ネギ、卵を買ってきた。ネギは刻み、大根をおろし、うどんをゆがいて生卵をかけて食す。日本と変わらず美味いと満足したのもつかの間、1時間後から酷い下痢に襲われた。翌日、友達に確認すると中国の生卵は食べれないと聞き、翌日からは半熟や温泉卵、ちょっとだけ生を残すといろいろ試行錯誤したが全て下痢再発。しばらくは味気ないかけうどんで耐えた。その後、現在もお付き合いある人々を紹介され、その人達
から生食用卵を分けていただき、ぶっかけうどんも卵かけご飯も美味しく食べられました。                           
会社はたぶん9時から17時半までが空調がはいっていたと思います。
気温40度で空調が切れると10分位で汗が吹き出し、窓を開けシャツを
脱いで下着で残業。しかし1時間もしないうちPM2.5で部屋の空気も悪くなるし、汗だくで家に逃げ帰る。でも暑すぎて食欲もない。気が付いたら体重95KGで赴任したのに帰任した時には73kg。女房が帰国後すぐにYシャツやスーツまで買い替えてくれました。
ただ、今は90kgで全て着れない・・・女房の嘆きが聞こえます。      
 
其の二 立場変われば・・・・                   
杭州の職場はIT企業で基本オフショア開発。見積から単体テストのレビューと日本への進捗品質報告が主な仕事。十数年前は日本語を話せる人は少なかったがT社PJでは現地で我々が仕様書を書いて説明・確認しながら完成させたためT社から過去にない品質だと我PJに感謝状と金一封をいただいた。杭州では日本語を話せる社員が多く、赴任時はこれは楽勝と思ったがこれがすっとこどっこい。毎日が日本発注先から苦情処理と要員調整に日々追われた。業種特有の言葉はもちろん、日本語特有の「~ないことはない」などの曖昧表現により日本に引き渡したときは品質が悪いと緊急会議などが頻発した。「仕様書のバグだ」「製造のバグだ」「有償だ」「いや無償で対応しろ」中国側は仕事をいただいている立場なので次の発注を考えると強く反論できない。私たち出向者が発注側やその上司の人と交渉したり社内や協力会社にも生産性・品質向上施策を教育したりとありとあらゆる手段やツールを考えた気がする。
日本で発注するときには逆の考えをしていていたような気がするが改めて相互のスキルアップと発注側も中間チェックに現地へ行ってのコミュニケーションの大切さを痛感した。                
 
其の三 休日や夜、小旅行                       
人から人を紹介いただき、日中の仲間が沢山出来て休日は西湖はもちろん、千島湖、紹興に観光に行ったり、BBQやゴルフ、麻雀。食は日本、中華、ドイツ、モンゴル料理や白酒、紹興酒、各地元ビールに舌鼓。帰任頃には杭州の他社の先輩方と老人介護付(失礼)で北京、西安、雲南へも出かけ食い倒して、飲み倒した。サッカーではブラジルW杯出場決定試合を今は無き「汐波」で観戦し本田のPKが決まった時に全く知らない周囲の人とハイタッチで喜びましたよ。
春節の銭塘江の両岸からの花火の打ち合いと早朝からの爆竹による安眠妨害。一人で迎えた春節では数日間コンビニ等が開いてなくての空腹感。中秋の銭塘江の逆流の凄さ。逆に田舎に行くとまだ牛や馬が田を耕したり土塀の家があったりと幼いころの記憶が蘇るから杭州、中国が大好きです。思い出も友達も沢山出来て中国で仕事を続けたい気持ちが強く、現在も中国系IT会社に兼務出向し北京を中心に中国中を回っています。時々杭州にもよりますがG20等を経て浜江の様変わりには驚きですね。また、帰任した方々や出張で杭州へ来れれた方々と「杭州忍の会」を結成し月1で御徒町の中華料理屋で思い出話に花を咲かせてます。メンバーは既に100名以上。大阪や静岡、なかにはオランダで起業したメンバーもおり、出身・滞在地も杭州だけでなく中国全土に広げたら、会長からついでにグローバルにしたらの一言で日中のほかベトナムの人もいます。詳しくは杭州NAVIのダニエルさんも会員ですから杭州NAVIにお問い合わせください(笑)            
 
其の四 帰任して思うこと                        
寂しくも杭州の出向先は済南に事業が移され解散となりましたが、いまだに部下の人たちと微信で連絡しあったり、日本に来たり私が杭州へ行った時には温かく迎えてくれます。また、杭州で知り合った人達は先ほどの「杭州忍の会」で騒いだり、昨年は湘南でBBQも開催しました。今年は女房も含め杭州関係者9名で四国一周を敢行し飲み食べ見つくしてきました。最後に単身赴任でしたが一度だけ杭州に来てくれた女房が杭州を綺麗で好きな街といってもくれました。ただ心残りは赴任中に息子が大学に入学し、サッカーを辞めて社交ダンス部に入部。女房から杭州に届いたメールには部活で女装して女側のダンスをする息子の写真。それを見た時はこんな息子に育ってしまったと少々悔やみました(悔やんだのは冗談)。でも父親がいなくても息子・娘とも今年無事に就職し、これも女房や杭州で知り合った皆さんのお陰と感謝しています。
 
知り合った皆さん、今後とも死ぬまでよろしくお願いします。




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